『ガンダム Gのレコンギスタ』の感想(最終回)

第26話 大地に立つ



脚本:冨野由悠季
演出:森 邦宏、松尾 衡
絵コンテ:森 邦宏、宮地昌幸、斧谷 稔
作画監督:[キャラ] 吉田健一 他 [メカ] 桑名郁朗 他




-感想-

今回の記事を書くために3~4回
最終回を観直したんですが、今のところ何度観ても
その感想を一言で語るとすると

「?」


という言葉しか見つかりません。




ただ、これはこの間の冨野監督への質問と回答を見ていると
多分に視聴者の方に色々考えてもらうために意図的に
そうしたように思いますね。

「Z」以降の冨野監督の作品はムック本や小説の
販売を意識してかこのように“わかりにくい”ラストが
多いんですけど、

逆に言えば「Z」以降の作品はそれが魅力でもあって、
ここから出発するのであり、色々と資料を集めて

上辺だけでない物語の本当の意味を
知った際の喜びのようなものは
なかなか得難いものです。

そんな訳で、「Gのレコンギスタ」の放送は
終わってしまいましたが、新しい発見があり次第、

この感想も“あらすじ”などを追加して
本作の魅力を探りつつ随時更新していくつもりです。




今のところ、いちばん気になったシーンは
やっぱりラストシーンで、今までの冨野ガンダムの
中でも“日本”という名称は、

「Z」なんかで、“日本のムラサメ研究所”とか、
フラウ・コバヤシ一家の潜伏先として、セリフのみ
登場しましたけど、

まさか、それから相当後の時代であるリギルドセンチュリーに
日本そのものが登場するなんて、しかも富士山はともかく、
新幹線らしきものや須走なんて地名も登場するとは…。

画像
前回触れた、ある意味お遊び的に送った私の質問なんですけど





画像
和食どころか、日本そのものが、
まさか残っているとはねぇ…。


ベルリが箸を使ったり、カツ丼が好きだったりするのは
意外にもお遊び的な設定ではなくて、やっぱり何らかの
意図があっての物なんでしょうね。

いかにも洋的な“レイハントン家”の末裔、
というよりも、個人的には日本と何か繋がりが
ある方が、よりベルリに親しみがわきますけど…。




ちなみに、富士山に向かうベルリに
「15分かな」
と言った麦わら帽子にサングラスのオッサンが

やけに冨野監督に似ているような
気がしてならなかったのですが

やっぱりエンディングのキャスト欄に“最後のお父さん”役に
井荻麟(もちろん、冨野監督のペンネームの一つ)の
名前がありました。

画像






●その他気になった点


・やっぱり、どうしてジット団やキャピタル・アーミィ、
 アメリア軍が戦闘を止めたのかわかりませんよね。


・「キア隊長…地球にはああいう奴もいるんですよ…
 ここで会わせたかったな…」という、
 クン・スーンのセリフは
 
 ベルリに向けられたものなのか?


・「本当なんですか?(ノレド)」
 「トワサンガに帰ってから考えます(フラミニア)」
 「凄いなぁ…女の人って…(ベルリ)」

 一体、何がどう凄いんでしょう? 
 フラミニアはトワサンガで何を
 するつもりなんでしょうか?


・クリムとニックは大気圏グライダーで何所に行った?


・ベルリは何でノレドを置いてった?


・「地上を這いずっていたなど…似合わんぞ! 飛び級生!」
 「貴様には死んでもらわんとクンタラとしては
 情けないのだ!」

 ここまでベルリを目の敵にしていたマスクは、どうして
 戦闘をやめたのか?



 
クンパ大佐が宇宙世紀の遺跡が残る
ギアナ高地の穴に落ちて、大佐の乗ってきた
大気圏グライダーの残骸を

マスクのカバカーリは見ていることから、
最期にクンパ大佐とマスクが会話をしている
可能性が高いので、

私はまだ“ルイン=実はレイハントン家説”を
取っているんですけど、そうであればもう、ルインと
ベルリが戦う理由はなくなりますよね。

結局、ルインってクンタラであった自分に
ある種の誇りというかアイデンティティを持っていて

だからこそ自分を必要以上に高めていたのに
ベルリのような飛び級生に多くの面で叶わなくて
それがコンプレックスになっており、

クンタラではなかった、という真実があれば
そこから解放されて戦う理由がなくなったから
戦うのを止めた、

などと想像するのですが、あの最終回だけでは
何とも判断がつきませんよね。




ともかく、ここから私の“Gレコ”に対する研究が
始まりますので、何かわかり次第、今後も

追記という形で随時更新していきますので、
よろしくお願いします。







2015年6月24日追記

『ガンダム Gのレコンギスタ オリジナルサウンドトラック』の感想 の中で、
Gレコのテーマは“知”の失地回復の物語ではないか?
と書いたんですけど、

現在東京MXで再放送を続けて観ていると、
情報、理屈、体制、主義、主張、なんかよりも
自分なりの感覚、感性、あるいは本能の方が正しい、

ってことを描いているようにも感じます。








2015年11月11日追記

何気なくウィキペディアの『Gレコ』の
ページを見ていたところ、

なな、なんと! 
『Gレコ』の舞台であるリギルド・センチュリーが
『∀ガンダム』の正暦の後の時代のと

設定が変わっているではなんですか!

でも、そんなに違和感を抱かないのは、
ブログでは触れませんでしたが、

ずっと気になっていたことがあって

リギルド・センチュリーの時代で、
せっかく軌道エレベーターやモビルスーツを生産出来るだけの
技術力や工業力が回復したのに、

それから時代が進んで『∀ガンダム』の正暦に入ると
19世紀ないし20世紀の前近代的まで技術力が
後退してしまったところで、

『Gレコ』の放送中はきっとその事が物語終盤で
「やっぱり技術は進歩させない方がいいよね」
という結論に至るところが描かれるのだと
ばかり思っていたのですが、

少なくとも私が観た限りではそんな風には見えなかったので
この疑問は解消されずに残っていました。




しかし、今回、『Gレコ』が『∀ガンダム』への橋渡し的
物語ではない可能性が高くなると、

この設定変更は、私の疑問に対してそれなりの
説得力を持つものになりました。

とはいえ、この設定も今後二転三転する可能性が
冨野監督の意向次第で無い訳ではないのですが、

物語を深く知るための一端にはなるかと思います。








2022年7月31日追記

ファミ通のサイトの

富野由悠季監督が『G-レコ』で描きたかったのは
“宇宙開発全否定”の物語。
まったくプレイしないというゲームのことも聞いてみた
【アニメの話を聞きに行こう!】


という記事内で本作に関する富野監督への
インタビューが掲載されているのですが、

タイトルにもある通り、インタビュー内で富野監督は
『Gレコ』を『宇宙開発全否定の物語』として
創ったと述べられているのですが、

うーん、確かに"ムタチオン"等の設定から
そういう要素もあるとは思うんですけど、

個人的にはそれがメインのテーマでは
ないような気がしますね。

割とその時々で富野監督は作品に関する
受け答えが変わってくることもあるので

今は額面通りに受け止めることは
控えようかと思います。



あと、当ブログの劇場版に関することですが、
もちろん、制作されたことや公開したことなどは
把握しているんですけど、

今は色々忙しくて感想などには
手を付けられない状態なんですよね。

また、非常に情報量の多い物語なので
色々と資料を集めつつ、完結編が公開された後に
全5部作を視聴して

感想などを一気に披露しようかと
計画しております。







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