「ガンダムF91」の物語を語ってみる
以前、「機動戦士 ガンダムF91 迷走はここから始まった?!」という記事を書いたのですが、「これって何か、よくないっスか?」というブログ名に反して批判的な論調をを載せてしまいました。
スイマセン、書いているうちに段々腹が立ってきてしまって。ええ、そうですよ。私はまだまだ
「坊やだからさ」
なのです。
それに、サンライズだってガンダム以外にも色々作ってたみたいだし、それらがエヴァンゲリオンより有名な作品ではなくたって、しょうがないでしょう。
富野監督だって、その後「ターンエーガンダム」を作って映画にもなっているわけだし…。
言い訳を許してもらえれば、話そのものはそんなに悪くなかったので、それだけにやはり説明不足が悔やまれるのです。
さて、肝心の物語なのですが、シーブックの母はF91の開発スタッフの一人、セシリーは敵の王女的設定なのですが、これって何か思い出しませんか?
その通り、V2ガンダムの開発に関わったウッソの母と、敵国の姫様だったシャクティにの関係に似てますよね。ひょっとしたらF91の諸設定は「Vガンダム」に形を変えて活かされているのかな、と思う節があります。
でも、決定的に違うところがあって、シーブックの両親はきちんと「親の役割」を果たしているという点です。
父親は、デザインがシオ・フェアチャイルドに似ていて存在感が薄く、ちょっとパッとしないのですが、最初のクロスボーンバンガードの襲撃のさなかシーブックたちの脱出に協力したり、レジスタンスに参加しようとしたり、あまり詳細な描写はないものの、ひとり敵地に潜入したシーブックを救うために致命傷を負ってそのまま息絶えてしまうなど、それなりの男気を見せてくれます。
母親は、シーブックがモビルスーツに乗って戦っていることに最初は戸惑い、ショックを受けるものの、アムロ・レイの母親のように個人のエゴに閉じこもることなく、彼らに協力するようになっていきます。
そしてラストシーンにて、シーブックにとって最愛の存在であるセシリーの救出に最大の力を貸すことになるのです。個人的には、自らが開発したバイオコンピューターの力を持ってしてセシリーを発見できた、と思いたいです。
敵であるクロスボーンバンガードの貴族主義ですが、この「貴族」という言葉が、何らかの誤解を生んでしまったような気がします。
一応劇中ではマイッツァーの言葉で説明がされていますが、「貴族主義」という言葉を全面的に出すよりも、民主主義のもたらす弊害というか、実は完成された政治システムではないんだ、ということを強調させたほうがよりわかりやすくクロスボーンを理解できたのではないかな、と思います。
「Vガンダム」も好きな私にとって、元になっているであろうF91の設定は興味深いのですが、ここで気になるのは、カテジナ・ルースの原型って誰なのかな、ということです。
実は、テレビシリーズとしての企画では、セシリーはあのままクロスボーンバンガードに留まったままなのだそうなのです。
そういう意味では、「純愛」の花言葉をもつ百合の花が居所を示し、ハッピーエンドの王道ともいえる役割を果たしたセシリーが、ひょっとしたらカテジナになっていたかもれないと思うと、ほんのちょっぴり映画でよかったな、とは思います。
また、全体的に怨念のようなものを感じる「Vガンダム」よりも、「F91」は何らかの希望を感じるような物語になっていました。
これっていわゆる「ブレンパワード」以降の「白富野」といわれる作風の魁だったとも感じられ、これをじっくりテレビシリーズで表現できていたら、ファーストガンダム以来の名作になりえたんじゃないかな、と思います。
とにかく、いろんな意味で残念な作品です。
(本文の執筆に当たっては「機動戦士 ガンダムF91 オフィシャルエディション 1991年/バンダイ発行」を参考とさせていただきました)
その他、ガンダム関係の記事
いろんな意味で不幸だった 機動戦士Vガンダム
『次回 機動戦士ビクトリーガンダム ウッソとカテジナの間で』
機動戦士 ガンダムZZをお忘れでは?
「恋愛物語」として「Vガンダム」を語ってみる
機動戦士 ガンダムF91 迷走はここから始まった?!
続編という観点で「Zガンダム」を語ってみる
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それに、サンライズだってガンダム以外にも色々作ってたみたいだし、それらがエヴァンゲリオンより有名な作品ではなくたって、しょうがないでしょう。
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言い訳を許してもらえれば、話そのものはそんなに悪くなかったので、それだけにやはり説明不足が悔やまれるのです。
さて、肝心の物語なのですが、シーブックの母はF91の開発スタッフの一人、セシリーは敵の王女的設定なのですが、これって何か思い出しませんか?
その通り、V2ガンダムの開発に関わったウッソの母と、敵国の姫様だったシャクティにの関係に似てますよね。ひょっとしたらF91の諸設定は「Vガンダム」に形を変えて活かされているのかな、と思う節があります。
でも、決定的に違うところがあって、シーブックの両親はきちんと「親の役割」を果たしているという点です。
父親は、デザインがシオ・フェアチャイルドに似ていて存在感が薄く、ちょっとパッとしないのですが、最初のクロスボーンバンガードの襲撃のさなかシーブックたちの脱出に協力したり、レジスタンスに参加しようとしたり、あまり詳細な描写はないものの、ひとり敵地に潜入したシーブックを救うために致命傷を負ってそのまま息絶えてしまうなど、それなりの男気を見せてくれます。
母親は、シーブックがモビルスーツに乗って戦っていることに最初は戸惑い、ショックを受けるものの、アムロ・レイの母親のように個人のエゴに閉じこもることなく、彼らに協力するようになっていきます。
そしてラストシーンにて、シーブックにとって最愛の存在であるセシリーの救出に最大の力を貸すことになるのです。個人的には、自らが開発したバイオコンピューターの力を持ってしてセシリーを発見できた、と思いたいです。
敵であるクロスボーンバンガードの貴族主義ですが、この「貴族」という言葉が、何らかの誤解を生んでしまったような気がします。
一応劇中ではマイッツァーの言葉で説明がされていますが、「貴族主義」という言葉を全面的に出すよりも、民主主義のもたらす弊害というか、実は完成された政治システムではないんだ、ということを強調させたほうがよりわかりやすくクロスボーンを理解できたのではないかな、と思います。
「Vガンダム」も好きな私にとって、元になっているであろうF91の設定は興味深いのですが、ここで気になるのは、カテジナ・ルースの原型って誰なのかな、ということです。
実は、テレビシリーズとしての企画では、セシリーはあのままクロスボーンバンガードに留まったままなのだそうなのです。
そういう意味では、「純愛」の花言葉をもつ百合の花が居所を示し、ハッピーエンドの王道ともいえる役割を果たしたセシリーが、ひょっとしたらカテジナになっていたかもれないと思うと、ほんのちょっぴり映画でよかったな、とは思います。
また、全体的に怨念のようなものを感じる「Vガンダム」よりも、「F91」は何らかの希望を感じるような物語になっていました。
これっていわゆる「ブレンパワード」以降の「白富野」といわれる作風の魁だったとも感じられ、これをじっくりテレビシリーズで表現できていたら、ファーストガンダム以来の名作になりえたんじゃないかな、と思います。
とにかく、いろんな意味で残念な作品です。
(本文の執筆に当たっては「機動戦士 ガンダムF91 オフィシャルエディション 1991年/バンダイ発行」を参考とさせていただきました)
その他、ガンダム関係の記事
いろんな意味で不幸だった 機動戦士Vガンダム
『次回 機動戦士ビクトリーガンダム ウッソとカテジナの間で』
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